その頃、私は病気で上手く動けなかった。早く動けなかった。
昨日は、お昼に食べるものが沢山あったけど、今日のお昼は?と考えてみたら何も無かった。
あら、お昼に、困っちゃうな…。
何か、作らなきゃ。
そうそう、この前、すごく大ぶりなタラの切り身を1つとってあった。ムニエルにしよう。あとは、だし巻き玉子。おお、ずいぶん大きいのが出来た。貴方には真ん中の1番良いところを、2切れ!それから…、確か雪菜があったはず。ソテーにしようか。
結婚式の時に作ってもらった大きな焼き物のお皿に盛り付けて…
なんとか、できた。案外キレイで美味しそうに出来た。良かった良かった。
そろそろ行かなきゃ、遅刻する。
貴方が、台所のカウンターの前を俯き加減に右からすっと、通ったから…
「これ、お昼に食べてね…。」
貴方は足を止めて、顔を上げてこちらを見て、ふと、微笑んだ。
「え、俺の?」
「そだよ。お昼に食べるの無かったから…。食べてね」
カウンターを出て、そばに行きお皿を差し出すと
「もう、そんなにはしゃがなくて良いから…、もう、行って、遅刻するから」
お皿を受け取って、そう言った。抱きしめる事はなかったけど、そっと、いつもより歩み寄って、抱きしめるようにそう言った。言ったと、思う。ありがとうって言ったかどうかは、今となってはよく思い出せない。
これが、貴方と言葉を交わした最後だった。
過ぎてしまった時間は、書き留めておかないと、色褪せてしまう。輪郭が不鮮明になるように、捉えどころが無くぼやけてしまう。
自分の中で、細部を書き換えてしまいそう。
あの時、確かに貴方は私の近くに居たのに…。
すり抜けて逃してしまった。
何より大事で、愛おしい貴方にはもう会う事はできない。